熊本県民医連とは

会長あいさつ

熊本県民医連 会長 重岡 伸一
熊本県民医連 会長
重岡 伸一

 2022年4月から会長に就任しました。2016年から3期6年会長を務められた光永会長を受け継ぐことになりました。

 民医連の自己紹介から話をさせていただきます。民医連:民主医療機関連合会は第2次世界大戦前の無産者診療所を受け継ぎ、戦争が終わった翌年の1946年に出発しています。無産者診療所とは何ぞや? 戦前の貧しい大衆は医師・病院にかかることも困難でした。地域の人たちが資金を集め、その熱意に共感した医師が参加して労働者・農民(無産者)の病院を作ろうという運動が広まったのです。平和を願い戦争に反対したため弾圧された歴史があります。

 熊本県では1951年(昭和26年)に熊本保養院(医療法人芳和会)を開設した平田宗男医師が精神科医療に取り組みました。1953年の熊本大水害のときに熊本保養院は救援活動を行いました。全国の民医連から100人以上の医師・職員が応援に入る中で民医連を知り、1954年に全国民医連に加盟しています。

 その後、熊本県民医連は新たな医師・職員を迎え菊陽病院、くわみず病院、水俣協立病院の3病院と八代、天草も含めて5診療所、サービス付き高齢者住宅、薬局法人(5薬局)、特別養護老人ホームを有するまでに発展してきています。

 時代は変わり一見豊かな社会に見えますが、雇用者の中で約4割が非正規雇用です。高齢化、地方の過疎化も進み、貧困と格差が拡大し、熊本地震、コロナ禍、豪雨災害で命や健康に不安をかかえる県民が数多く存在し、医療・介護・福祉への期待や要望があると考えています。医療が高度化し私たちだけではできない分野も多くあります。地域の医療機関・介護事業所、そして地域の住民とともに熊本の医療を前進させるために努力していきます。

 今ロシア軍がウクライナに軍事侵攻して深刻な蛮行が行われています。平和を願い戦争に反対してきた民医連として強く抗議の声を上げています。私も職員とともに微力ではありますが頑張りたいと思います。よろしくお願いいたします。

民医連綱領

私たち民医連は、無差別・平等の医療と福祉の実現を めざす組織です。

戦後の荒廃のなか、無産者診療所の歴史を受けつぎ、医療従事者と労働者・農民・地域の人びとが、各地で「民主診療所」をつくりました。

そして1953年、「働くひとびとの医療機関」として全日本民主医療機関連合会を結成しました。

私たちは、いのちの平等を掲げ、地域住民の切実な要求に応える医療を実践し、介護と福祉の事業へ活動を広げてきました。

患者の立場に立った親切でよい医療のすすめ、生活と労働から疾病をとらえ、いのちや健康にかかわるその時代の社会問題にとりくんできました。また、共同組織と共に生活向上と社会保障の拡充、平和と民主主義の実現のために運動してきました。

私たちは、営利を目的とせず。事業所の集団所有を確立し、民主的運営をめざして活動しています。

日本国憲法は、国民主権と平和的生存権を謳い、基本的人権を人類の多年にわたる自由獲得の成果であり永久に侵すことのできない普遍的権利を定めています。

私たちは、この憲法の理念を高く掲げ、これまでの歩みをさらに発展させ、すべての人が等しく尊重される社会をめざします。

一、人権を尊重し、共同のいとなみとして医療と介護 ・福祉をすすめ、 人びとのいのちと健康を守ります。

一、地域・職域の人びとと共に、医療機関、福祉施設などとの連携を強め、 安心して住み続けられるまちづくりをすすめます。

一、学問の自由を尊重し、学術・文化の発展に努め、 地域と共に歩む人間性豊かな専門職を育成します。

一、科学的で民主的な管理と運営を貫き、事業所を守り、医療、介護・福祉従事者の 生活の向上と権利の確立をめざします。

一、国と企業の責任を明確にし、権利としての社会保障の実現のためにたたかいます。

一、人類の生命と健康を破壊する一切の戦争政策に反対し、核兵器をなくし、平和と環境を守ります。

私たちは、この目標を実現するために、多くの個人・団体と手を結び、国際交流をはかり、 共同組織と力をあわせて活動します。

2010年2月27日
全日本民主医療機関連合会 第39回定期総会